教室構成員の紹介

教室構成員一覧 鈴木 紫布

ロンドン留学体験記

鈴木 紫布 写真:研究室の前にある Hammersmith hospital です。

1.はじめに
私は獨協高等学校、獨協医科大学を卒業後、2001年に獨協医科大学神経内科に入局しました。2003年に大学院に進み、パーキンソン病と睡眠障害についての臨床研究を行いました。大学院を修了した後、留学するきっかけは、一度研究室で基礎研究をしてみたいという単純なもので、研究をするのなら、どこか海外で有名な研究室はないかと思うようになりました。そのときに丁度、内分泌内科医である私の父、叔父が以前留学したロンドンの研究室のBloom教授がまだ現役で研究をされている(約30年!)ということを耳にしました。内分泌内科と神経内科で分野は異なりますが、末梢シグナルと脳幹、視床下部、大脳皮質との関連、神経内分泌という面において共通する部分も多く、2008年からロンドンへ留学することとなりました。

2.研究室
留学先はImperial College LondonのSection of Investigative Medicineという研究室で、ロンドン市内の地下鉄Central lineのWhite Cityから歩いて15分くらいのところにありました。主任教授はStephen Bloom教授で、視床下部のエネルギー、生殖系への調節作用、消化管ホルモンの食欲調節、インスリン抵抗性についての研究チームを総括・指導されています。業績は数多く、1,000以上の論文がpublishされています。私は消化管ホルモンの食欲調節についての研究グループに参加することとなりました。食欲抑制効果のあるホルモン、アナログを用いて動物実験で行い、ラジオイムノアッセイでホルモンの測定を行いました。私は基礎実験をしたことが皆無に等しかったので、ピペットの使い方、器具の使い方から習いました。動物実験に際し、ライセンスが必要でしたが、生活に慣れてからの
ほうがよいといわれ、渡英3か月後に3日間の講義の後に試験を受け、無事合格しました。留学後期には、細胞を用いて、消化管ホルモンの神経保護効果について実験を行いました。研究室ではPhD studentが数多くいて、彼らは実験の予定がないと、パソコンの前で1日座っていました。最初、何をしているのかと思いましたが、卒業までに200ページはある論文を仕上げるために、日々執筆していたのでした。決まったスケジュールがあまりない分、自分で研究のプランを組まないといけないのです。毎週木か金曜日の朝8時〜9時にjournal clubがあり、1か月以内の最新の論文について、論文の良いところや疑問点などを議論します。そのほか個々の班における研究の状況を報告する会議が定期的にありました。講義や会議の日程についての連絡方法はすべてe-mailでした。

3.ロンドンの生活
研究室の宿舎が到着してみて、いっぱいだということが分かり(1年後にやっと空きました)、それから、フラット(アパート)を探し、研究室に近い地区のHorn Laneというところで借りました。近くに公園があり、安全で住みよいところでした。その後、妻と6か月の子供が移ってくるときにもっと便利なところ、Oxford Circusの駅周辺に移りました。そこはロンドンの中心で、ショッピングセンターやたくさんの店があり便利でしたが、混雑しており、駅前は夕方や週末は人をかき分けて進むような感じでした。2年間のイギリス生活は1年は一人で、1年は家族と一緒に過ごしました。英会話は日本で一年通いましたが、実際に着いてみるとあまり通じず、最初は、同僚とあいさつ程度の会話しかできませんでした。ドラマを見たらいいと聞いて、ロンドンを舞台にした連続ドラマHollyoaks、EastEndersなどを字幕付きで観ました(内容的にはもう少し若い人向けの、下町を舞台にしたドラマで、結婚式とかお祝いの前日に結構、何か悲劇が起こります)。職場に日本人はいなかったので、英語以外話す言葉はなく、徐々に通じるようにはなってきました。食事はフィッシュアンド・チップス、ローストビーフなどは美味しかったですが、キドニーパイはだめでした。しかし、やはり、帰国後に感じたのは日本の食事が一番美味しいということです。私は、普段甘いものはあまり食べませんが、ロンドンに行ってからは毎朝、チョコレート入りのコーヒー、モカ、とチョコレートの菓子パンを食べていました。日本に戻ってからは、その習慣はなくなりました。金曜の夕方、たまに、ラボの同僚とpub(居酒屋)に飲みに行きました。HammersmithのThe Doveは文豪ヘミングウェイも行っていたそうで、その建物は木造で歴史を感じさせます。料理は、中にはgastropubのような凝った食事を出すところもありますが、基本的には軽食のみで、ビールを飲みながら会話を楽しむところです。Bitter beerは黒ビールと普通のビール(lager)の中間のような茶色のbeerで、炭酸がなく、冷えすぎていないのが特徴です。一人の同僚は常にbitterのLondon Prideを飲んでいました。日本人は冷えて炭酸が効いたlagerがよく、たまにbitterは良いかもしれません。私はKronenbourg派でした。仕事は月‐金までで、土日は基本的には休みでした。週末はバスや地下鉄に乗って、ショッピングセンターのあるHammersmithや都心に行って食材などを買いました。便利なコンビニはなく、自炊していました。引っ越し後は、中華料理のtake awayやJAPAN centerという日本食料品店が近かったので、たまに利用していました。物価は渡英時には1ポンド240円で、スターバックスコーヒーで一杯3ポンドくらいだったので、驚きました。翌年には1ポンド140円くらいになりました。

4.交通
職場には地下鉄やバスで通勤可能だったことと、ロンドン市内では中央に車で行くと渋滞の緩和目的にcongestion chargeという税金が課せられると聞いて、車は購入しませんでした。SuicaのようなOyster cardは重宝しました。現金の乗車よりも割引があり、駅や店で上乗せ(top up)できて、ほとんどすべてのバス、地下鉄の乗車ができます。日本ではあまりないと思いますが、バス乗車中に何らかのトラブルで、乗客全員が途中下車させられることが数回ありました。地下鉄のストライキも起こりますので、週末など出かける前には、インターネットでtransport for Londonのチェックは必要です。Heathrow空港からはよく黒いタクシーを利用しました。運転手はロンドン市内のどんな小さい道でもすべて覚えていなくてはならないというだけあり、番地をいえば、スムーズに乗せていってくれました。後部座席はベビーカーで子供をのせたまま乗車できたので楽でした。

5.The city of London Migraine Clinic
妻(紫布)は同じ医局の神経内科医で、私が研究室に行っている間、子供の世話、家事などをしてくれていましたが、片頭痛の診療、研究で知られるthe city of London Migraine ClinicのMacGregor先生のもとで、数回外来見学に行く機会がありました。クリニックの外観は趣のある建物で、頭痛専門外来なのですが、CTやMRI検査はなく、診断のために問診・診察に一人40分位かけるスタイルが印象的だったようでした。

6.トラブル
ロンドンに住んでいる間は、盗難、強盗などの被害には合いませんでした。ロンドンはcosmopolitan cityというだけあり、白人の他、中東系、アジア系など多国籍の人々が住んでおり、日本人がいてもとくに違和感はなく、安全でした。困ったことといえば、電話のトラブルで、電話線を引いてもらったのですが、通じず、電話会社に電話するのですが、早口でよくわからず、話しているうちに何度も切られたことで、結局は配線ミスでした。銀行口座の開設には住んでいる証明として何か自宅に届いた領収書の提示が必要で、council taxが3週間で届きやっと口座を開設できました。一方、閉じるのは簡単で一日で終了しました。他に、同じ階の人の騒音問題がありました。週末になると深夜数十人でパーティー騒ぎを起こし、重低音のダンスミュージックで不眠になることがありましたが、ラボの友人に相談し、手紙を書いて、しばらくした後騒ぎはおさまりました。

7.観光・旅行
世界最大規模のLondon eyeという、ロンドンのテムズ川沿いのBig Ben、国会議事堂を上から一望できる大きな観覧車は、一周30分弱をゆっくり回ります。私は日本から友人、家族が来るたびに乗り、合計5回の乗車はラボでは最多でした。大英博物館、ロンドン塔、バッキンガム宮殿の観光やストーンヘンジをみるバスツアーに参加しました。自宅から、徒歩約10分のRegent’s parkやかなり大きなHyde park公園にも家族ででかけました。ロンドンからヨーロッパへは飛行機やユーロスターでアクセスは良く、土日の休日を使って、何回か家族で旅行に出かけました。ユーロスターで2時間半でフランス, パリのルーブル美術館やディズニーランドに行きました。冬にはドイツ、ミュンヘンのクリスマスマーケットやアイスランドへ飛行機で旅行しました。数分間でしたが、3泊目にやっと緑色に輝くオーロラを見ることができました。

8.おわりに
約2年間の留学生活は、英会話、環境の違いなどの苦労はありましたが、とても貴重なものでした。基礎研究が初めてでしたので、とても興味深い経験ができました。留学中に世紀の大発見はありませんでしたが、今後はこの経験を臨床にいかしていきたいと考えています。最後になりましたが、留学する貴重な機会を与えてくださった平田幸一教授、貴重なご助言を下さった宮本雅之先生、宮本智之先生、小鷹昌明先生、そして留学生活を支えてくれた多くの方々や家族の協力に感謝を申し上げます。

獨協医科大学神経内科 鈴木圭輔 鈴木紫布


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